あまつ 天つ(神)

天にいらっしゃる(神)

教会讃美歌14番 新聖歌67番 讃美歌95番
「わが心は」
1.わが心は 天つ神を尊(とうと)み
 
 わがたましい 救い主を
  ほめまつりて よろこぶ。

私の心は、天にいらっしゃる神様を尊び、
私の心は、救い主イエス様を讃えて喜ぶ。
(2007/1/8)


あまねく 遍く・普く

もれなくすべてに及んでいるさま。広く。一般に。(大辞泉)

教会讃美歌289番
すべてのひとに 宣べつたえよ

2.あまねく宣べよ よき知らせを、 
  まことの幸を 求めつつも
  むなしきものに さそわれゆく
  世のはらからに 宣べつたえよ。

福音(救いの言葉)を広くすべての人に伝えなさい。
本当の幸いを求めながらも 空しいことへの誘惑に流されてしまう
世の同胞に伝えなさい。(2006/7/29)


あれかし 在れ+かし

ありますように
「かし」は「念を押す」という意味をもつ、終助詞。

教会讃美歌26番
神のみ子は今宵しも

3.「神にさかえ あれかし」と、 
  み使いたちの 声すなり。
  地なる人も たたえつつ
  いそぎゆきて 拝まずや
  いそぎゆきて 拝まずや。

「神様に栄光がありますように」と
天使たちの声がします。
地上にいるわたしたちも、神様の栄光を讃え、
急いで出かけていって
生まれたイエス様を礼拝しようではありませんか。
(2006/12/17)


いさお 勲・功

手柄や勲功。(旧かな:「いさを」と表記)

教会讃美歌306番
「いさおなき われを」
1.いさおなき われを 血をもて 贖(あがな)い
  イエス 招きたもう みもとに 我ゆく

何の手柄もない(ねうちもない)こんな自分なのに、
イエス様は身代わりに十字架にかけられて自分の命を捨てて
私を救って下さいました。(2006/6/18)


いなとよ 否とよ

いいえ、違います

教会讃美歌31番(讃美歌119番)
「羊はねむれり」
1. 羊はねむれり 草の床に、
   さえゆく冬の夜 霜も見えつ。
   はるかにひびくは 風か、 水か、
  
いなとよ、み使い うたうみうた。

はるか遠くに聞こえるのは風の音か水の音か?
いいえ違います、み使い(天使)がうたう歌ですよ。
(2006/12/10)


いやます 弥増す

いよいよ多くなる。ますますはなはだしくなる。いやまさる。(大辞泉)

教会讃美歌385番
「神のみめぐみは 海より深く」
4.わが罪増すとも 恵みいや増す
 
 はかりも知られぬ み神の愛よ。
  み声を聞きなば いそぎ進みて
  ひかりの道をば 喜びあゆまん。

私の罪は増えるのに、(それをも帳消しにしてくれるのだから)
神様の恵みはますます多くなる
神様の愛はそのようなものだ。その大きさは想像することもできないほどに大きい。
(2006/7/29)


うく 受く

受ける

教会讃美歌14番 新聖歌67番 讃美歌95番
「わが心は」
3.御名(みな)は清く 大御業(みわざ)は賢(かしこ)し
 
 代々に絶えぬ み慈(いつく)しみ
  仰ぐ者ぞ 
受(う)くべき。

御名(=神様)は正しい方であり、(神様のなさる)仕事は優れたものである。
代々とぎれることのない神様の慈しみは、
(神様を)仰ぐ者こそが、受けるべきものなのだ。
(2007/1/8)


おがまずや 拝む+ず+や

「拝む」 礼拝する
「ず」打ち消しの助動詞 〜できない
「や」反語の係助詞 どうして〜することができるだろうか、いやできない

礼拝せずにいることができましょうか?
いや、礼拝せずにはいられません

教会讃美歌26番
神のみ子は今宵しも

3.神のみ子は 今宵しも
  ベツレヘムに 生まれたもう。
  いざや友よ もろともに
  いそぎゆきて 
拝まずや
  いそぎゆきて 
拝まずや

神様のみ子(イエス様)は、今晩にも
ベツレヘムにお生まれになります。
さあ、友よ、いっしょに、
急いで出かけていって礼拝しようではありませんか
(2006/12/17)


おごる 奢る

(現代語では
  1 程度を超えたぜいたくをする。
  2 自分の金で人にごちそうする。物などを人に振る舞う。 
という意味ですが、ここでは、古文なので)


誇りたかぶること。(角川・古語辞典)
思い上がった態度をとる、尊大に振る舞うこと。

教会讃美歌14番 新聖歌67番 讃美歌95番
「わが心は」
4.低きものを 高めたもう み恵み
  
おごるものを 取りひしぎて
  散らしたもう みちから。

低い者を高めて下さる恵み、
思い上がる者の勢いをくじいて散らして下さる、神様の力。
(2007/1/8)


おだやか 穏やか

(この讃美歌の場合は)平和

教会讃美歌31番(讃美歌119番)
「羊はねむれり」
3.「あめにはみさかえ 神にあれや、
   つちには
おだやか 人にあれ」と、
  むかしのしらべを 今にかえし、
  うたえや、友らよ、 声もたかく

天には、神に栄光がありますように。
地上には、人に平和がありますように」と
昔の歌を、今あらためて歌います。
友よ、歌おう、声も高く。
(2006/12/10)


かずにたらぬ 数に足らぬ

身分の低い・取り柄のない。


イエス様の生まれた当時、全領土の住民は住民登録をすることになっていました。

しかし、当時、羊の世話をするために野宿をしながら放牧を行っていた羊飼いたちは、
仕事の都合上、定められた日の礼拝を守ることができず、
このため、身分の低いものとされ、住民登録の対象外とされていました(数に含めてもらえない)。

ところが、イエス様は、そのような人たちに囲まれる中、馬小屋でお生まれになりました。
そして、人間が決めた身分にかかわらず、どんな人をも見捨てることなく、救いのために
身を捧げられました。(JK)

新聖歌67番 讃美歌95番
「わが心は」
2.数に足らぬ 我が身なれど見捨てず、
 
 よろず代まで さきわいつつ
  恵みたもう うれしさ。

一人前と見なされていないほど取り柄のない
私であるにもかかわらず見捨てず、
代々、栄えさせて下さる恵みを与えて下さる嬉しさよ。
(2007/1/8)


かて 糧

食糧。食物。「その日の―にありつく」
精神・生活の活力の源泉。豊かにし、また力づけるもの。「音楽は心の―」(大辞泉)

教会讃美歌254番(聖餐)
「疲れしものに」
1.疲れしものに 天よりくだる いのちのかて、 
  飢えたるものを 深き愛もて 養いみちびく。 
2.主のみ傷より 流るる血しお 愛のいずみ、 
  渇けるものの 心のうちに 来たりてうるおせ。 
3.み
糧(かて)のうちに かくれしみ子を あがめまつり、 
  みさかえの日に とうとき姿 あおがしめたまえ。

いのちの糧」とは、生命を養ってくれる食べ物、ということですが、
単に生きるための栄養ということにとどまらず、生活の活力、生き甲斐という意味も
含まれているように思います。

また、この讃美歌は、聖餐式の際に歌われます。
聖餐式では、パンとぶどう酒を配るのですが、パンは救い主イエスのからだ、
ぶどう酒は主イエスの血です。ですので、
みかてのうちに隠れし御子」とは、聖餐式で配餐されるパンのなかに
隠れていらっしゃるイエス様、という意味だろうと思います。(JK)
(2006/11/12)


くすし・くしき 奇し・奇しき

神秘的である (大辞泉)

教会讃美歌382番
「ここは神の世界なれば」
1.ここは神の 世界なれば 
  あめなる調べは 四方に聞こゆ。 
  岩も木々も 空も海も
  
くすしきみ業を さやに示す。

ここは神様の(作った・統治する)世界なので
天の歌声は至る所にまで聞こえる。
岩も木々も空も海も
神様の行った神秘的な行為を はっきりと示している
(2006/8/6)

教会讃美歌31番(讃美歌119番)
「羊はねむれり」
2.まひるにおとらぬ くしきひかり、
  み空のかなたに てりかがやく。
  救いをもたらす 神のみ子の
  生まれしよろこび 告ぐる星か。

真昼に劣らないほど明るい不思議な光が
空の彼方で照り輝いています。
救いをもたらす神のみ子イエス様の誕生を知らせる星です。
(2006/12/10)


こがね・にゅうこう・もつやく 黄金・乳香・没薬

イエス様がお生まれになったときに、東方からやってきた3人の博士が捧げた3つの贈り物。

黄金は、王権の象徴、
乳香は、神の象徴、
没薬は、死の象徴、すなわち救世主の象徴、と言われています。

→ 参考:「三人(みたり)の博士

乳香:
ムクロジ目カンラン科ボスウェリア属の樹木から分泌される樹脂のことである。オリバナム(Olibanum)、フランキンセンス(Frankincense)とも呼ばれている。古代エジプトでは神に捧げるための神聖な香として用いられていた。 神に捧げるための香という点は古代のユダヤ人たちにも受け継がれており、聖書にも神に捧げる香の調合に乳香の記述が見られる出エジプト30:34-35)。
(Wikipedia、「乳香」より)

没薬:
フウロソウ目カンラン科コンミフォラ属(ミルラノキ属)の樹木から分泌される樹脂のことである。
古くから香として焚いて使用されていた記録が残されている。 また殺菌作用を持つことが知られており、鎮静薬、鎮痛薬としても使用されていた。出エジプト記(
出エジプト30:23-25)には聖所を清めるための香油の調合に没薬が見られる。
東方の三博士がイエス・キリストに捧げた3つの贈り物の中にも没薬がある。 (中略) またイエス・キリストの埋葬の場面でも遺体とともに没薬を含む香料が埋葬されたことが記されている(
ヨハネ19:39-40)。
(Wikipedia、「没薬」より)


イエス様は人間の罪の身代わりとして十字架にかかり死なれ、
これによって人間を罪から救い出して下さいました。
このため、「死」=「救世主」となるのです。(JK)

教会讃美歌39番
「マリヤの腕(かいな)に」
3.黄金(こがね)と乳香(にゅうこう) 没薬(もつやく)ささげて
  
貧しき心に 主イエスを迎えん
  われらのため 人となりませる
  神のまえに すべてを捧げん

黄金と乳香と没薬をささげて、私の貧しい心にイエス様をお迎えしましょう。
神であるのに、わたしたちのために人間となって下さったイエス様にすべてを捧げましょう。
(2006/12/29)


さやに 明に・清に

あざやかに、はっきりと (大辞林より)

教会讃美歌382番
「ここは神の世界なれば」
1.ここは神の 世界なれば 
  あめなる調べは 四方に聞こゆ。 
  岩も木々も 空も海も
  くすしきみ業を 
さやに示す

ここは神様の(作った・統治する)世界なので
天の歌声は至る所にまで聞こえる。
岩も木々も空も海も
神様の行った神秘的な行為を はっきりと示している
(2006/8/6)


しもと 笞・楚

刑罰の用具。罪人をむち打つための、細い木の枝で作ったむち・つえ。(大辞泉)

教会讃美歌329番
「みうでに憩い」
4.みうでにあれば 世を去る日も
  主の杖、しもと われを守る
  苦しみなやみ 今は消えて
  尽きせぬ恵み われを囲む

主イエスの腕の中にいれば 死ぬときまでも
主のつえやむちが 敵から私を守って下さいます。
(2006/7/23)


しらべ 調べ

音楽を奏すること。また、その音楽。「琵琶(びわ)の―」
旋律。「単調な―」 (大辞泉)

教会讃美歌382番
「ここは神の世界なれば」
1.ここは神の 世界なれば 
  あめなる
調べは 四方に聞こゆ。 
  岩も木々も 空も海も
  くすしきみ業を さやに示す。

ここは神様の(作った・統治する)世界なので
天の
歌声は至る所にまで聞こえる。
岩も木々も空も海も
神様の行った神秘的な行為を はっきりと示している。
(2006/8/6)


すべる 統べる
すべます 統べ・ます(「ます(在す)」は尊敬を表す補助動詞(現代の丁寧語とは別))

全体をまとめて支配する。統轄する (大辞泉)

教会讃美歌382番
「ここは神の世界なれば」
3.ここは神の 世界なれば 
  悪魔のちからは やがてほろぶ。
  わがこころよ などて嘆く、
  王なるわが神 世を
すべます

私の心よ、なぜ嘆くのか、
王である私の神が この世を統治して下さっています
(2006/8/6)


たぐいなし 類いなし

他に比べるものがない (大辞泉)

教会讃美歌392番
「主よ、わが心を新たに作りて」
5.この身を み神に ことごと 捧げて
  
たぐいなき 御名を あまねく 世に宣(の)べん。

私のこの体をことごとく(すべて)神様にささげて、
他に比べるものがないほどすばらしい神の名を
広く世の中すべてに宣(の)べ伝えよう。
(2007/2/11)


とく 疾く

すぐに、急いで。《形容詞「と(疾)し」の連用形》(大辞泉)

教会讃美歌294番
恵みふかき み声もて
1.恵みふかき み声もて イェスは呼びたもう。
  「われに来よ」と今もなお われを待ちたもう。 

(おりかえし)
  来よ、来よ、来よ、われに
とく来よ
  疲れはてし罪人よ、 われに
とく来よ

(イエス様の呼びかけ)来なさい、来なさい。
私のところに
早くやって来なさい。
疲れた者よ、私のところに早く来なさい。(2006/7/23)


とこしなえ 常しなえ・長しなえ・永久

とこしえ(永遠)に同じ。

教会讃美歌26番
神のみ子は今宵しも

4.とこしなえの みことばは
  今ぞ人と なりたもう。
  待ち望みし 主の民よ
  おのが幸を 祝わずや、
  おのが幸を 祝わずや。

永遠のみことば(注:イエス様のこと)は、
今こそ人の形となって
この世にお生まれになりました。
この日を待ち望んでいた、主をあがめる人々よ、
自分たちの幸せを祝わずにいられようか、
いや、祝わずにはいられません。

(注)「永遠のみことば」
ヨハネによる福音書の冒頭は次のようになっています。
 1:1 始めに言(ことば)があった。言(ことば)は神であった。
 1:2 この言(ことば)は、始めに神と共にあった。
 1:3 万物は言(ことば)によって成った。
    ...
 1:4 言(ことば)の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
    ...
 1:14 言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。


神様は、「光あれ。」という言(ことば)を発することで、光をつくり、
天地を創造されました(創世記1章)。
すなわち、言(ことば)こそ神様そのものです。
そして、神様は、神を離れてしまった人間たちを救うために、
神の子、イエス様を地上におつかわしになりました。
ヨハネ1:14がイエス様の誕生を意味しています。

イエス様が行ったこと、語ったことから、イエス様が神の子で
あることが示されるので、この讃美歌ではイエス様のことを
「永遠のみことば」と呼んでいます。

(2006/12/17)


とりなし 執り成し

対立する二者の間に入って、うまく折り合いをつけること。
仲裁。また、仲介。「―を頼む」(大辞泉)


人間をはじめ、すべてのものは神が創ったものです。

しかし、アダムとエバが神との約束を破り、エデンの園の知恵の木の実を食べて以来、
神と人間の間には対立があるようになりました。
神は正しいので、過ちを犯したまま悔い改めない人間(正しくないもの)を
受け入れるわけにはいきません。
一方、人間は自らの過ちを素直に神に謝ることができず、
神から離れようととしてしまいます。
(これが「罪(sin)」です。「犯罪(crime)」とは別です)

しかし、神との和解なくしては人間の平安はありません。

そこで、神はイエス様を地上に遣わし、
罪のないイエス様が十字架にかけられて死ぬことで人間の罪を代わりに受け、
その代償として人間の罪を帳消しにし、神との和解を成立させる、という
執り成しの方法を与え、あらためて人間が平安に至る道を用意してくださったのです。(JK)

教会讃美歌39番
「マリヤの腕(かいな)に」
2.すべての人々 み前に来たりて
  黙せるみことば み子にまみえよ。
  まぶねにふす みどりご主イェスは
  罪びとらを 
とりなしたもう。

飼い葉桶に寝ている 赤ちゃんの救い主イエス様は
罪のある者である
人間と神様の間を仲裁して下さいます。
(2006/12/10、2006/12/29)


とりひしぐ 取り拉ぐ

1 押しつけてつぶす。「鬼をも―・ぐ怪力」
2 勢いをくじく。頓挫(とんざ)させる。

教会讃美歌14番 新聖歌67番 讃美歌95番
「わが心は」
4.低きものを 高めたもう み恵み
  おごるものを 
取りひしぎて
  散らしたもう みちから。

低い者を高めて下さる恵み、
思い上がる者の勢いをくじいて散らして下さる、神様の力。
(2007/1/8)


な・なが・なれ 汝

な 【汝】 二人称。対等もしくはそれ以下の相手に対して用いる。おまえ。なんじ。(大辞林)

なれ 【汝】 二人称。対等あるいはそれ以下の者に対して用いる。おまえ。なんじ。
〔補説〕 この語は、「な」とともに、上代・中古に用いられる。「な」が他の語と熟合して用いられることが多いのに対して、「なれ」は独立用法の語と推定されるが、その用例はあまり多くない
(大辞林)

なが 【汝-が】 おまえの、なんじの

教会讃美歌20番
「心をあわせ」
3.心をあわせ 喜びうたえ、
  死のやみ消え 救いはあらわれ
  永遠(とわ)のすまい 
ながためひらかる、
  救いぬしは 生まれたもう

心を合わせて喜び歌おう、
救い主、イエス様がお生まれになって
(罪のある人間のために神様に執り成しをして下さるので)
永遠の住まいが
あなたのために開かれる
(人間が天国に行くことができるようになったのだ)。

教会讃美歌333番
「山辺に向いて」
2.み神は なれの足を 強くす、
  み守り あれば 
なれは 動かじ。
  み民をば 守るもの
  まどろみ 眠りまさじ。

3.み神は 仇をふせぐ 盾なり、
  
なが身を常に守る かげなり。
  よるは月 ひるは日も
  
なれをば そこなうまじ。

神様はあなたの足を強くして下さる。
守りがあるので(注1)、
あなたは動じない。 
民を守って下さる方(神様)は、
まどろむことも眠ることも決してありません。

神様は敵を防いで下さる盾です。
あなたの身を常にまもる、影のような存在です。
夜の月(注2)や昼の太陽(注3)も
あなたを傷つけることは決してありません。

注1:「あれば」は「あるので」。 「あるならば」ではありません(その場合は「あらば」)。
注2:月は、
精神的な不安の原因の象徴。月の光は精神に変調をきたすと考えられていました。
注3:太陽は、肉体的な疲れの原因の象徴。砂漠の国イスラエルでは、太陽は恵みというよりも暴力的な印象が強いです。

教会讃美歌352番
「主イエスは わがはらから」
4.主イエスは 教えたもう
  「わが神 わが父は
  
なが神 なが父なり」
  恵みは 限りなし。

イエス様は教えて下さいました、
「私の神、私の父は、
あなたの神、あなたの父である。」
イエス様が下さる恵みは、このように限りがないものです。
(2007/1/4)


などて 何どて

[副]《副詞「など」+接続助詞「て」から》どうして。なぜ。 (大辞泉)

などか   [副]《副詞「など」+係助詞「か」から》どうして…か。
などかは [副]《副詞「など」+係助詞「かは」から》どうして…か。
       「か」「かは」が「反語」(どうして〜だろうか、いや〜ではない)の意味を加えます。

教会讃美歌382番
「ここは神の世界なれば」
3.ここは神の 世界なれば 
  悪魔のちからは やがてほろぶ。
  わがこころよ 
などて嘆く、
  王なるわが神 世をすべます。

私の心よ、なぜ嘆くのか、
王である私の神が この世を統治して下さっています。
(2006/8/6)

教会讃美歌371番 新聖歌209番
「いつくしみ深き」
1.慈しみ深き 友なるイエスは
  罪 咎(とが) 憂(うれ)いを 取り去りたもう
  心の嘆きを 包まず述べて
  
などかは 下(おろ)さぬ 負える重荷を

慈しみ深いイエス様は
わたしたちの 罪・咎(とが)・憂(うれ)いを取り去って下さいます。
だから、どうして(あなたは)心の嘆きを隠すことなく述べて
背負っている重荷を下(おろ)そうとしないのですか
(嘆きをイエス様に伝えれば、心の重荷を降ろすことができますよ)
(2007/2/11)


にえ 贄・牲

1 神に供えるささげ物。また、天子に献上する魚や鳥などの食物。その年の新穀などを奉るのにもいう。
3 あることをするために払われる物や労力。犠牲。いけにえ。 (大辞泉)

こひつじ 小羊

イエス様のこと(下の「注1」参照)。

教会讃美歌397番
「われは仰ぐ にえとなりし小羊」
1.われは仰ぐ にえとなりし小羊。
  わが罪(つみ)咎(とが) 取り除きて
  きみのものと したまえ。

わたしは、いけにえとなった小羊(=イエス様)を仰ぎ見ます(注2)。
(ですから)わたしの罪と咎を取り除いて、
(わたしを)あなた(=イエス様)のものとして下さい。


(注1)
旧約聖書の時代、小羊は、誰かが罪を犯した場合、その罪を贖(あがな)う(償う)ためのいけにえとして用いられることが定められていました。
   レビ記
   5:1 誰かが罪を犯すなら、...罰を負う。
   5:6 罪を犯した代償として、群れのうちから雌羊(めひつじ)又は雌山羊(めやぎ)を取り、
      贖罪の捧げものとして主に捧げる。


ところで、人間は生まれながらにして罪を持っており、そのままでは神の国(天国)に入ることができません(「とりなし」参照)。そこで、イエスが神と人間の仲介者となり、罪がない身でありながら、人間の罪の身代わり、すなわち「いけにえ」として十字架で死にました。

このため、(将来、イエスが十字架の死を遂げることがわかっていた) 「バプテスマのヨハネ」は、イエスを「神の小羊」と呼びました。
   ヨハネ福音書
   1:29 その翌日、(バプテスマの)ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。
       「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」



(注2)
なぜ「仰ぎ見る」と罪を取り除いてもらえるのでしょうか?

紀元前1400年頃(旧約聖書の時代)、モーセはイスラエルの民を率いてエジプトを脱出し、イスラエルの土地へと向かっていました。しかし、旅は苦難の連続。イスラエルの民は指導者モーセに向かって不満と非難をぶつけました。これに対して神は蛇を送る罰を下し、民の反省を促しました。
  民数記
  21:7 民はモーセのもとに来て言った。
      「わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いて下さい。」
      モーセは民のために祈った。
  21:8 主はモーセに言われた。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。
      蛇にかまれたものがそれを見上げれば、命を得る。」
  21:9 モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、
      その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。

この事件は、不満ばかり言っていた民が、初めて自らの罪を認め、モーセに神との執り成しを求めた、という画期的な事件です。そして、「見上げる」という行動が、神への信頼を表す行為として捉えられています。

  なお、「青銅の蛇」は、あくまでも犯してしまった罪を思い出し、神様との和解を確認するためのものです。
  ところが、時代が過ぎ紀元前700年頃になると、「その蛇の像を拝めば助かる」という偶像崇拝に陥ってしまいました。
  北イスラエルの王、エラの子ホシェアは、これを正しくないとして取り壊しました。
  列王記下
  18:3 彼(エラの子ホシェア)は、父祖ダビデが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行い、
  18:4 聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊し、アシェラ像を切り倒し、モーセの造った青銅の蛇を打ち砕いた。
      イスラエルの人々は、このころまでこれをネフシュタインと呼んで、これに香をたいていたからである。

そして、イエス様の十字架の死は、神との和解のための人間の罪の贖いでした。
ですから、十字架につけられたイエス様を信じ、見上げることで、罪を取り除いていただけるのです。
  ヨハネ福音書
  3:14 そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子(=イエス様)も上げられねばならない。
  3:15 それは、信じるものが皆、人の子によって永遠の命を得るためである。

(2007/2/11)


において 匂いて

匂う [動ワ五(ハ四)]《「丹(に)秀(ほ)」を活用した語で、赤色が際立つ意》
1 よいにおいを鼻に感じる。かおりがただよう。「百合の花が―・う」「石鹸がほのかに―・う」
2 鮮やかに色づく。特に、赤く色づく。また、色が美しく輝く。照り映える。「紅に―・う梅の花」「朝日に―・う山桜」   (大辞泉)

匂う
1 いいにおいが鼻に感じられる。かおる。
2 「輝いて、色が美しく見える」意の雅語的表現。「朝日に匂う(=映える)山桜花」
(新明解国語辞典 第三版)

教会讃美歌28番 讃美歌115番 新聖歌84番
「ああベツレヘムよ」
1.ああベツレヘムよ などかひとり
  星のみ
において ふかく眠る (讃美歌・新聖歌では「匂いて」)
  知らずやこよい くらき空に
  とこよの光の 照りわたるを。

ああベツレヘム(の人々)よ、星だけが光り輝いているなか、
どうして(イエス様の誕生をお祝いすることもせず、何もせずに)深く眠っているのか。
今夜、暗い空に永遠の光(=イエス様)が
照りわたる(=誕生する)ことになっているのを知らないのか。
(2006/12/29)


はらから 同胞

同じ母から生まれた兄弟姉妹。また、一般に兄弟姉妹。
同じ国民。どうほう。(大辞泉)

うから 親族

血縁の人々の総称。血族。親族。「―やから」(大辞泉)

やから 族

(族)同じ血筋の人々。一家一門。眷属。一族。うから。
(輩)同類の者たち。仲間。連中。ともがら。特に、よくない連中。「行儀を知らぬ―」「不逞(ふてい)の―」(大辞泉)

讃美歌で「やから」「うからやから」の形で使われている例には悪い意味はないので、
「族」のほうの意味と思われます。(JK)

ともがら 輩 
同類の人々をさしていう語。仲間。「学問を志す―」(大辞泉)

教会讃美歌289番
すべてのひとに 宣べつたえよ

2.あまねく宣べよ よき知らせを、 まことの幸を 求めつつも
  むなしきものに さそわれゆく 世の
はらからに 宣べつたえよ。

福音(救いの言葉)を広くすべての人に伝えなさい。
本当の幸いを求めながらも 空しいことへの誘惑に流されてしまう
世の同胞に伝えなさい。(2006/7/29)

教会讃美歌42番
み子のそば近く われら今つどう

2.ふかき感謝いだき ひざまずくわれを
  はらからとなして  主よ、祝したまえ。

深い感謝をもってひざまずく私を
仲間として、主よ、祝福して下さい。(2006/7/29)

讃美歌293番
知恵と力の もとなる神よ

4.親しき友は 離れ去るとも
  
うからやからは よし疎(うと)むとも
  まことの父の 愛ははなれじ。

親しい友達が離れていくことはあっても、また
血縁のものが自分を疎(うと)んじるようになることがあっても、
父なる神様の愛は決して離れることはありません。

教会讃美歌257番
われらの主イェスは」

2.父のみもとへと のぼりたまえど 
  み心のままに ここに来たもう。
  み名をばあがむる ともがら招きて 信仰ましたもぅ。

(イエス様は復活された後、天の国の)
父(なる神)のもとへ昇られましたが、
ご自分のお考えにより、地上へ降りて下さり、
その名(イエス様)をあがめる仲間(弟子たち)を招いて、
信仰を強めて下さいました。(2007/5/27)

イエス様は、人々の罪をあがなうために身代わりとなって十字架にかけられ、
死にました。しかし、3日目に死から復活し、
その後、40日間にわたって多くの場所で弟子たちの前に現れ、
神の国についてお話しされ、弟子たちを力づけました。(
ルカによる福音書24:13-48
そして、40日後に天に戻られました(
使徒言行録1:6-11)。
教会讃美歌257番はその様子を表したものです。(JK)


ひとや 獄・囚獄

牢獄。(一夜・一矢ではないです)

教会讃美歌25番
「もろびとこぞりて」
1.もろびとこぞりて迎えまつれ
  久しく待ちにし主は来ませり
  主は来ませり、主は主は来ませり

2.
悪魔のひとやを打ち砕きて
  捕虜(とりこ)を放つと主は来ませり
  主は来ませり、主は主は来ませり

悪魔の牢獄を打ち壊して、そこに閉じこめられていたわたしたちを
解放して下さるために、主イエス様は来て下さいました。
(2006/6/18)


ひな 

都から離れた土地。いなか。(大辞林)

教会讃美歌27番
天なる神には
1.「天なる神には みさかえあれ、
  地に住む人には 平和あれ」と、
  み使いこぞりて ほむる歌は
  静かにふけゆく 夜にひびけり 

2.今なおみ使い つばさをのべ
  疲れしこの世を おおい守り
  悲しむ都に なやむ
鄙(ひな)
  慰めあたうる 調べうたう。

今もなお、天使は翼を広げ、疲れている人の多いこの世を
覆い守り、悲しむ人のいる都会に、悩める人のいる
田舎に、
慰めを与える歌を歌う。
(2006/12/10)


まぶね 馬槽

「うまぶね(馬槽)」に同じ。
馬の飼料を入れる桶(おけ)。飼い葉桶。まぐさ入れ。(大辞泉)

教会讃美歌39番
「マリヤの腕(かいな)に」
2.すべての人々 み前に来たりて
  黙せるみことば み子にまみえよ。
  
まぶねにふす みどりご主イェスは
  罪びとらを とりなしたもう。

飼い葉桶に寝ている 赤ちゃんの救い主イエス様は
罪のある人を神様に執りなして下さいます。
(2006/12/10)


みたり 三人

三人の博士。

三博士の名は、西洋では7世紀から次のような名が当てられている。
メルキオール Melchior (黄金-王権の象徴、青年の姿の賢者)、
バルタザール Balthasar (乳香-神性の象徴、壮年の姿の賢者)、
カスパール Casper(没薬-将来の受難である死の象徴、老人の姿の賢者)。
(wikipedia)

→ 参考:「黄金・乳香・没薬

教会讃美歌32番 讃美歌103番 新聖歌82番
「牧人(まきびと) 羊を」
3.その星 しるべに 三人(みたり)の博士ら
  メシアを尋ねて はるばる旅しぬ

4.奇(くす)しき光の 導くまにまに
  博士は まぶねの主イエスにまみえぬ。

その星を目印にして、3人の博士はメシア(救世主、イエス様)を
尋ね歩きながら、はるばる旅をしました。

神秘的な光が導くまま、博士はまぶね(馬槽)の中に眠っていらっしゃる
イエス様にお目にかかりました。

マタイによる福音書 2:1-2
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。
そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。
わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」

マタイによる福音書 2:9-11
彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、
ついに幼子のいる場所の上に止まった。
学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。
彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた。

(2007/1/8)


みどりご 緑児・嬰児

生まれたばかりの赤ん坊。また、3歳くらいまでの幼児。(大辞泉)

〔補説〕 「新芽のような子」の意から。古くは「みどりこ」
生まれたばかりの子供。あかんぼう。(大辞林)

教会讃美歌39番
「マリヤの腕(かいな)に」
1.マリヤの腕に 眠れるみどりご
  み使いうたいて 牧人まもる。
  これぞきよき 救いのきみなる、
  われもゆきて ほめうた捧げん 。  

マリヤ様の腕に抱かれて眠っている赤ちゃん
天使が讃美を歌い、牧人を守っている。
この赤ちゃんこそ聖なる救世主、
私も行って、讃美の歌を捧げます。
(2006/12/10)


よも 四方

2 あちらこちら。また、いたる所。 (大辞泉)

教会讃美歌382番
「ここは神の世界なれば」
1.ここは神の 世界なれば 
  あめなる調べは 
四方に聞こゆ。 
  岩も木々も 空も海も
  くすしきみ業を さやに示す。

ここは神様の(作った・統治する)世界なので
天の歌声は
至る所にまで聞こえる。
岩も木々も空も海も
神様の行った神秘的な行為を はっきりと示している。
(2006/8/6)


よろずよ 万代

永久、とこしえ、代々

教会讃美歌14番
「わが心は」
2.数に足らぬ はしためをも見捨てず、
 
 よろず代まで さきわいつつ
  恵みたもう うれしさ。

一人前と見なされていないほど身分の低い女(=ここではマリア様)を見捨てず、
代々、栄えさせて下さる恵みを与えて下さる嬉しさよ。
(2007/1/8)